突然ですが、あなたは運が良い方だと思いますか?
この記事に興味を持っていただけてるのですから、どちらかと言えば悪いと感じてみえると思います。
ヒトはそれぞれ考え方が違うので、同じ事象が起こっても人それぞれに受け止め方が変わってくるのは当たり前ですが、人間生きていれば様々な「理不尽」と思える苦境や不幸が訪れることも珍しくありません。
自分に責任があれば、受け入れたり改善もできますが、そうでなければ納得いかないとイライラしたり落ち込んだりしますよね。
そこで今回は、「とっておきの話」をもとに凄く前向になれる2つの考え方を紹介したいと思います。
■この記事を読んで頂きたい方
✅ 不運続きで生きる気力が出ない。
✅ なぜ自分ばかり酷い目に遭うのか?と不公平感に耐えることが多い。
✅ もう人生無理ゲーやし、死にたい。
■この記事を読むメリット
✅ 逆境を楽しめる様になる。
✅ 前向きな希望を持って活動できる様になる。
✅ 他人の幸せをいちいち気にしなくなれる。
今回のテーマはお伝えしたいボリュームが多いので前編・後編の2部構成で作成したいと思います。
先ずは前編の記事としてご覧いただければ幸いです。
とっておきの話 第一話
はじめに、ある話をシェアさせて下さい。
この話は、高校時代の親友から面白可笑しくドヤ顔で聴かされた記憶を元に私が再構築したものです。
とある国の村におじいさんと孫が暮らしていました。
高校時代の親友から聞いた話をアレンジ
村は裕福な家庭が多く、どの家庭も馬を飼っていました。
孫は自分も馬に乗って遊びたい、馬が欲しいとおじいさんにせがみます。
おじいさんには馬を買えるほどのお金が無かったので、孫の願いを叶えてあげられず、辛い想いをしていました。
そんなある日、どこからともなく馬がおじいさんの家にやってきました。
孫は大喜びで、馬と仲良く遊んで大満足。
おじいさんも思い掛けない幸運で、馬を大変可愛がる日々を過ごします。
それから数年後。
青年になった孫が、急に暴れ出した馬から落下し大怪我を負ってしまう不幸に見舞われてしまいます。
ヘタをしたら、手足を一生動かす事ができなくなってしまうかも知れないと医者から告げられ、おじいさんは、「馬さえ来なければ・・・馬さえ暴れなければ・・・こんな事にはならなかった」と馬をひどく憎みます。
丁度その頃、村を含むその国周囲で戦争が起こっていました。
村には徴兵(戦争へ参加する兵士の召集令)があり、近隣の青年すべてが戦争に駆り出されることとなりました。
大怪我を負っていた青年は、身体を満足に動かすことができず徴兵を免れましたが、村の青年のほとんどは戦死してしまいました。
その後、おじいさんの孫の青年は順調に回復し、また馬と仲良く暮らしましたとさ。
さて、この話を読んでどの様に感じましたか???
是非、ざっくりと感じたコトを整理して次を読み進めて下さい。
話のカラクリ
何かとツッコミどころが多いかと思いますが、私なりに考えた話の本質について説明したいと思います。
一応ハッピーエンドながらも「勝手なおじいさんだな」と感じた方も多いかと。
ですが・・・
実はこの話、大半の方が「勝手なおじいさん」と同じ思考をしているんです。
勝手だなぁと感じたのは、話の結末を知ったからであって、その時々で同じ状況であった場合、果してアナタは前向きに考えられたでしょうか?
それでは、この話を「おじいさんの視点」で整理してみましょう。
- STEP1アンラッキー(日常x不満)
孫が馬を欲しがっているが、馬を購入するお金が無い。
孫に不憫な想いをさせてしまっている。 - STEP2ラッキー(変化x幸運)
マジか!? 欲しかった馬が手に入った!!
これで孫の喜ぶ顔が観られる!!
きっと神様が助けてくれたんだ。ありがたや、ありがたや。 - STEP3アンラッキー(転落x憎悪)
大事な孫に大怪我をさせおって!!
この駄馬が!!!
この馬さえ居なければこんな事にはならなかった。
きっと悪魔の使いだったんだ!! - STEP4ラッキー(結果x感謝)
孫が大怪我をしていたから戦争に駆り出されなかった。
戦争に行った他の村人は、ほとんど戦死したことを考えると運が良かった。
孫も回復に向かっているし、ありがとうよ。
おじいさん(大半の人)の捉え方
決して、おじいさんの思考についてバカにしているワケではありませんし、極々自然な流れだと思います。
ステップ①~②では、思いがけず欲しいモノが手に入り、幸せを感じるのは普通ですよね。
ステップ②~③では、欲しいモノを手に入れた代償が大き過ぎた事に腹を立てています。
まぁ、確かに結果としてそうなれば、少なからず負の感情を抱いてしまいますよね。
この時点で、孫が大怪我をして幸せ~と思うヒトはいないでしょう。
ステップ③~④では、再び想定外の幸運に恵まれ、憎んでいた馬に感謝しています。
いわゆる怪我の功名という結果ですが。
次は馬について、考えてみましょう。
ここで出てくる馬とは?
この話に登場する馬とは一体なんでしょうか?
馬は暴れてしまった結果、孫を落下させてしまいましたが、孫に襲い掛かったワケでもありません。
普通の馬としての振舞いの結果なのに、馬がおじいさんから受けた感情は、嬉しい気持ち→憎しみ→感謝と移り変わっています。
つまり、馬はおじいさんの都合により、善くも悪くも捉えられているという事ですね。
もう少し、読み解くなら 馬=馬の居る生活での出来事として変換するといいでしょう。
話からの教訓
この話の本質は「良い出来事・悪い出来事と思っていたコトが、その先々で全く逆になることがある」という事が伺えます。
馬は変わったワケではありませんが、なぜこんな風に見え方が変わってくるのでしょうか?
答えは、起こった事に対する受け止め方だと思います。
極々一部を切り取った見方
おそらく大半の人は、起こった事象の善し悪しを「目先の損得」で判断し感情が起伏することが多いかと思います。
何故なら、現時点で自分にとってどうかは、直感でも感じる判りやすいコトだからです。
裏を返せば、先の視えない遠い未来を含めては考えが及ばないし、そこまで考える必要があると思っていないと言えそうです。
このコトは、国の施策レベルでも垣間見れます。例えば税金のバラマキや核燃料(放射性廃棄物半減期が10万年以上)の問題や地球温暖化への対応など、長期・広域で物事が考えられていないことは多々ありますね。
最強の思考方法その①
今回は、おじいさんの視点と馬(起こった出来事)を例としたお話を例にあげていますが、応用が利く考え方を提案したいと思います。
シンプルですが、「必ずいつかは状況は反転する」と未来に希望を持つことです。
これは月並みで”明けない夜はない”という名言と似たり寄ったりになってしまいますが、更に突っ込めば以下の言葉に集約されるかと思います。
“There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.”
ウィリアム・シェイクスピア
物事に良いも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる。
日本においても
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
「”平家物語 祇園精舎”」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
~意味~
祇園精舍の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。娑羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
“最終日付(2021年9月21日 (火) 03:04)” UTC
URL:平家物語 祇園精舎 – Wikibooks
また、違った視点にはなりますが、化学の世界においても「平衡」というものがあったり、物理の世界においても「エネルギー保存の法則」があったりします。
私なりの解釈で言えば、万物の状態には「揺らぎ」があるものの、やがてはあるべき状態に落ち着くということになります。
前編 まとめ
不幸と思われるコトが後々になっては実は幸せに繋がっていたという話を例に、「広く前向きに長期的に物事を捉える考え方」を紹介しました。
ただし、今回の話では「おじいさんには馬を受け入れない選択肢もあった」はずなので、タイトルで言うところの「理不尽や不可抗力」という文面の答えとして物足りなかったと思います。
後編では、「理不尽や不可抗力」をカバーした話で完結させていきますので、引き続きご覧いただけると有難いです。
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